偏光

日常のこと、いろいろ。

日記を続けるには;その方法と実践(その3)

 前回(「日記を続けるには;その方法と実践(2)」)では、日記を続けられない原因とその対策について書き始めたところで記事を終えていました。本稿は、その続きの記事です。一応、リンクを張っておきますので、前回までの振り返りにどうぞ。

dreamy-sunlight.hatenablog.jp

 

 3の2.心に優しくすること

 日記を続けられない原因として、以前3つの点を指摘しました。すなわち、①マンネリ化、②忙しい、あるいは心の余裕がない、③日記を続ける意義を見失う、ということです。この節では特に、②について述べていきます。

 さて、「忙しい、あるいは心の余裕がない」ということはどういうことであるか。これはもはや語るまでもないでしょう。読んで字のごとくと言えますが、一応解説しておきます。

 日々の仕事の中で、あるいは学業等に追われる日々の中で、誰しも毎日一定の作業を続けることができるわけではありません。

 よほど勤勉で、何かひとつの事をこつこつと取り組むことが好きな方であれば、日記を続けることなど、何の問題にもならないかもしれません。しかし、そうはいっても、人間である以上、疲れて何もやる気が起きないなどということが起こることは、容易に想像できるところであります。夜遅くまで何事か用事があって外に出ていた、目の前が霞んで見えるほどにつかれている、もう泣きたいほどにつかれている、と。そのようなときに、いくら勤勉だから、日課だから、といっても、どうにもやる気が出ないものです。

 それを押し切って、毎日続けることができるというのであれば、それにはもう敬服したします。このような記事を読むべきではありません。なぜならば、そのような方は、すでに続ける力を持っている方なのですから。ここでは、残念ながらそういった方を対象としているわけではありません。

 たとえば、このような状況があるとします。続けたい気持ちはやまやまなのだけれど、忙しく、なかなか手を付けられない。あるいはなかなかやる気が出ない。先ほどの例を用いれば、毎日毎日、日記をすると決めていて、ある程度は続いたのだけれども、どうにも続けること自体が目的になってきてしまって、ノートを広げるのが億劫になってしまった。このような状況にある方を対象としたいと思います。

 ここで、忙しくて余裕がない方については、物理的に余裕がないということになるでしょうが、きっとそれだけではありません。心の問題が何よりも大きな観点であると思います。このことを踏まえたうえで、以下、考えていきましょう。

 さて、右状況はなぜ起こるのか。これは、自分自身にルールを強く定めすぎであるがゆえに起こっているものと私は考えます。すなわち、日記を続けると決めた以上、ぜったいにやらないければならない。でも、疲れてどうしようもなく、早く休みたい。なのに、日記だけはやらなくてはいけない。でも、どうしようもない……といったように、心の中が堂々巡りをしている状態が、右状況に当るのですが、この原因は、そもそも「毎日日記を続けなければならない」というルール(ルールでなくとも、そう思っていること。)が、制約として強すぎるものであることに因る、ということです。

 ここでは、手段と目的が転倒していて、まったく心の余裕が失われているといえます。すなわち、日記を続けることという手段と、日記を続けることによって、記憶の整理をしたり、気持ちの整理をしたり、単に記録として、いつまでも大切な宝物にするという目的。この手段と目的が入れ替わっていますね。当初は右目的のために意気込んで日記を書き始めたのに、いつのまにやら日記を書けさえすればもうあとはどうでもいい、と自棄的ですらあります。誰からどう見ても、心の余裕が失われているといえますし、このような状況に陥ったならば誰しも、心の余裕を失うことでしょう。私も実際→状況に陥ったことがあるので、よくわかるところであります。

 考えてみてください。日記を毎日続けなければならないというルールは、いったい誰が定めたものでしょうか。日記は継続的に記録し続けなければならないというルールは、誰が定めたのでしょうか。さらに言えば、日記を書かなければならないという意識は、どこから来るのでしょうか。

 日記を絶対継続的につけなければ怒られるというわけではありません。政治家でもない限り、日記を書かなかったからと言って、誰かに怒られるということは一切ありません。日記は「日記」として意識し、書く必要が、いったいどこにあるのでしょうか。どこにもないということが、お分かりいただけると思います。

 日記は、毎日継続的に書くものでなくとも構いません。無理に続ける必要は、どこにもないのです。「日記を続けるには」どうすればよいのかということをテーマにしておきながら、「無理に続ける必要は、どこにもない」と述べることは、一見矛盾した結論のようにも見えるのでしょうが、そんなことは一切ありません。矛盾してなどおらず、むしろ筋が通っていると思っています。

 日記を、疲れているのに無理やり付けて、続けること自体が目的になっているようでは、本末転倒です。そうではなくて、日記は、無理なく続ける。思い出したときに書く。覚えておきたいこと、忘れておきたいこと。どちらでも構いませんが、何か目的をもって、今日付けておきたいと思ったときに付ける。それでよいのです。

 先ほど述べましたが、日記を続けなければならないというルールなどどこにもないのです。なぜ、「日記は、続けなければならない」と思ってしまうのか、その起源については知る由もありませんが、大方自己啓発本の類が発端でしょう。あるいは、政治家の「日記」像からして、庶民も日記をつけるときにはこうあるべきだ、というような主張がまかり通ったのか。いずれにせよ、それは他律的な定めでしかありません。わかりやすい言い方をすれば、それは他人の理想を押し付けられているに過ぎないのです。

 しんどいとき、どうしても何もする気が起きないとき。でも、日記はどうしても書いておきたいとき。そういうときは、書かなくても構いません。勤勉で実直で、規則を何よりも重んじるような正直な方であれば、「一度決めた自分のルールを破るなんて」と、罪悪感さえ感じなさるでしょう。でも、その必要はありません。

 たとえば何か犯罪をして、一念発起、更生すると誓ったのに、自己都合で正当化してその誓いを破ることは、最大限の非難に値します。あるいは、友人との大事な約束や、恋人との記念日のディナー。これらを無断で踏み倒すことは、やはり道義的に最大限の非難でもって受け入れられるべきでしょう。でも、ここで問題としているのは、日記なのです。犯罪ではありません。ましてや金の貸借や、大事なディナーの約束でもありません。破っても良いルール、変えてもよいルール。それが日記を続けるうえでの、マイルールなのです。

 続けると決めた以上は、続けるほうがよろしいでしょう。ただ、毎日毎日書く必要はどこにもない、と私は申し上げたいと思います。

 ただ、注意していただきたいのは、日記を続けるというルールさえ破ってしまっては、それこそ本当に元も子もない、ということです。これは大前提のルールです。続けると決めた以上は、続けなければならないのです。私は間隔の話をしているのであって、日記を止めるか続けるのかについて考えるべくこの記事を書いているのではありません。日記を続けなくても良いと解釈して正当化するのは愚行にすぎません。一応、老婆心から釘を刺しておきます。

 大前提さえ守っていれば、あとは間隔を随意に変えても構いません。私は、この9年間、日記を書く上で、何度も挫折しそうになりました。それこそ、日記の表紙を見ることさえ嫌だ、と言う気持ちになったことは何度もありました。そして、大前提――日記を続けること――じたいを辞めてしまおうか、と真剣に悩んだこともありました。それでも、続けてこられたのは、ひとえに大前提さえ崩さなければどうにでもなると学んだからです。

 どうしても辛いときに、無理に書き記す必要はありません。思い出すほど辛いことも、きっと誰にでもあることでしょう。そんな記憶の、傷口を、わざわざ舐めるように思い出して克明に書き記していくというのは、想像しただけでも身震いします。あまりにも涙ぐましいことですね。そのような努力をする必要はありません。書きたくなければ、書かなければいい。ずっと書かなくても良いということではないけれど、ある程度放っておいても良い。このようにとらえ方を変えると、面白いくらい日記が続くようになりました。

 どうしても辛いときは、その辛いことを、整理して、気持ちを落ち着けて、換言すれば冷静になって、見つめ、思い出し、書けるようになる時まで書かないでおく。その間に、ちょっとした良いことや、嬉しかったこと、楽しかったこと。こういったことを少しずつ書いておくようにします。そうすると、日記を続けることは、きっと苦しみにまみれたものではなくなるでしょう。

 要は私が言いたいのは、自分の心に優しくしてあげてください、ということです。苦しんで苦しんで、嫌な出来事を思い出して書き記した10ページの文章よりも、些細な幸せを、嬉しさを、楽しさを、かみしめて、その記憶を思い出しながら書いた数行のほうが、何倍にもまして記憶に残るものになるのです。宝物にさえなるでしょう。

 そのような体験を積み重ねて、自分自身の過去を見据え、徐々に徐々に折り合いをつければ、きっと、書くのが嫌だと思った直接的な原因――あの日の出来事を無理やり書いてからというものの、書くのがすっかり辛くなったといったこと――も、おのずと解消されることでしょう。

 

 

以上、「日記を続けるには;その方法と実践(その3)」をお届けしました。次回がいよいよ「日記を続けるには;その方法と実践」の最終回です。最後の問題点として、日記を続けることの意義を見失ったパターンについて、その解決策を考えていきましょう。